この弁護士の言い分はおかしくないか?

ジュリスト No.1323に、酒巻先生が司会で「裁判員裁判における審理等の在り方」という共同研究の記事があるんですけど、そこで、従来、ほぼ書証に拠っていたと思われる争いの無い事実の立証について、書証に拠るべきか人証に拠るべきかという問題提起に対し、弁護士の岡氏は人証によるべき場合が多くなると言えると思いますと言い、弁護士の神山氏に至っては裁判員が入る以上、やはり人証でできるものは、できるだけ人証でやるべきだと、私は思いますとまで言います。
しかしながらこの言い分にはあまり合理性が見当たりません。検事の小島氏は裁判員裁判裁判員の方にとって理解しやすい、分かりやすい訴訟をしなければいけないと言う点については異論はありませんとしつつも、証人の負担を考えればむやみに人証を使うのも良くないと言い、検事の山上氏は必ずしも証人尋問が分かりやすいとばかりも言えないのではないでしょうかと指摘します。
これに対する弁護士神山氏の反論が酷い。証人の負担については曰く国民の義務として我慢してもらうしかないと国民に負担を押し付け*1、分かりやすさについてはその証人が見聞きしたことを直接聞くということに、やはり意味があると、およそ反論といえないような反駁をしています。

検事の和田氏は例えば同意された実況見分調書についてどういう形で法廷に顕出するのが分かりやすいか(強調引用者)という明確な視点を提出していますが、弁護士側にはこういった視点が見られません。分かりやすさを基準に据えるという視点は判事の遠藤氏がこれまでは不同意だから人証というルールでしたが、分かりやすいから人証というアプローチがあってもいいのかなと私は思うのですという意見にも共通します。

検事の発言も書証に拘るというものではなく人証が有効な場面では人証を使おうとする姿勢が見えるのであって、記事において、検事と判事は「裁判員にとっての分かりやすさ」という基準で書証と人証とを選択しようという発想を共有しているのに対し、弁護士はとにかく人証にしたいと言っているだけのように見えます。

この問題提起は裁判員制度にいかに対応するかという点からスタートしたのであって、そうであるならば裁判員の分かりやすさを基準とする検事・判事側の主張は、問題に対する的確な答えということができるでしょう。それに対し弁護士側の主張は問題点と結論に関連性がありません。頭がクリアーではない証人のピントのボケた証言で事案をはぐらかし、以て被告人の利益にしようとする邪悪な意思の現れでしょうか?


そういうわけで裁判員にいかに見せるかという基準が重要になるとすれば、証拠も"書"証・"人"証に留まるべきかどうかも疑問です。アメリカのように、法廷でパワポを使ってプレゼンテーションの手法を用いることだって、裁判員の理解を助けるという点では有効でしょうし、パワポを使うかどうかはともかく、これからの検事・弁護士にはプレゼンテーション能力がよりいっそう求められることになります。*2それが検察と弁護側のどちらに有利に働くかはともかく、どちらもプレゼンに関する何らかの教育を受けるというのはありそうな話。


と、これは裁判員の心証をいかに奪うかという視点から見た場合の話です。
しかし、そもそも何で裁判制度を裁判員なんぞのために構築しなきゃいけないんですか?


刑事裁判が誰のために行われるかと言えば、それは第一次的には裁判で処遇が定まる被告人その人であって、次に事件にかかわった人々でしょう。裁判は決して裁判員のために行われるものではありません。「裁判員の理解を助ける」というお題目は、裁判員制度導入以前でそれに相当する主張をするなら「裁判官が楽な裁判をしよう」という主張に当たります。全く以て不当な主張です。裁判において仕事を減らすことを真実発見に優先するなんてのは許されるべきではないでしょう。なるほどちょっと前までの裁判は無闇に長期化していたかもしれないけれど、その解決は、真実発見をおろそかにすることなく無駄な部分を効率化する事によって為されるべきであって、おろそかな裁判による拙速化を指向することは明らかに危険です。

証拠がより分かりやすい形で顕出されるというのは良いことです。効率性は正義です。その意味で、書証と人証のどちらがより証拠の形として分かりやすいかという視点は、裁判員の有無にかかわらず良い方向性です。
しかし、裁判員が楽なように、したがってより少ない証拠で裁判を行おうとするのはこれとは別の問題です。裁判員制度に対して、現場では裁判員の負担をいかに減らすかについて腐心しておられるようです。しかしこの努力はそもそも適正な裁判に対する攻撃とさえ言えるものです。
さらに、裁判員のために証拠量を減らし審議を簡素化する必要があるというのは裁判員裁判特有の事情であって、普通の裁判では、迅速化の努力はするにせよ、拙速化の努力は不要です。そして裁判員裁判は重大事件についてのみ行われます。このことはつまり、重大事件に対し、そうでない事件よりも審理をおろそかにするインセンティブを生じしめることを意味します。


そういうわけで。裁判員制度は失敗して欲しいなぁ。

*1:弁護士のくせに、まるで政府側の言い分だ。

*2:一般の社会人たる裁判員にしてみれば、プレゼンが上手い方が心証が良い。ましてKeynote使ってたりしたらMac裁判員はそれだけで影響を受けかねない。