『事故と心理』読んだ。

事故と心理―なぜ事故に好かれてしまうのか (中公新書)

事故と心理―なぜ事故に好かれてしまうのか (中公新書)

本書は「交通心理学」の研究の成果および交通事故の実態を記した本です。

第1章では幼稚園児の送迎中に起った飛び出し事故が紹介され、その原因について多角的な視点が提供されます。この事故は幸運にも(という表現が適切であるかはさておき)著者が園児の送り迎えという場面における運転者の車外の行動の癖と偏りをみようとする研究の過程で偶然録画されたもの(15頁)であったため、事故を挟んで1年間の間に撮影されたビデオをもとに考察することができました。通常であれば事故現場の恒常的な要因(道路の見通し等)と事故場面にだけ生じた一過性の要因の2つについての考察にとどまらざるを得ないところ、それ以前の行動もビデオに残っていたため、当事者の癖のような再発性の高い要因についても探求が可能だったのです。そして事故後の行動も録画されているため、事故が当事者のその後の行動にどのような影響を与えたかについても明らかになります。
この第1章は本書において出色の魅力を放っています。


もっとも第2章以降は、このような分かりやすい事例をもとに論じるのではなく、仮定と実験と統計と考察からなる極めて学術的な議論になるため、あまり一般受けはしそうにありません。面白いですけど。
さて、第2章では事故原因の1つである「エラー」について色々の学説を紹介します。これらはその後の議論において直接の中心になるわけではありませんが、理解するための下地になります。読んでる最中では今更フロイトに触れるのはどうだろうかと思ったのですが、これが第3章で活きてきます。
第3章においてはまず、「シートベルトをしている人は安全意識が高く、従って安全運転をする」という一見して常識的な考え方が示されます。ところがシートベルトの着用の有無は運転の安全性とは無関係であるということが、実際の調査によって明らかになります。すなわち、「安全意識」という上位概念によってある人の行動パターンを快刀乱麻に論じることはできないわけです。フロイトは何でもかんでも性欲で解決しようとしましたが、「安全意識」論も(著者はここまでは言わないが)、フロイト的な粗雑な議論であったということができるでしょう。


第4章,第5章は本書の第2部として「だれが事故に好かれるか」という表題を付されます。
ここでは実際に事故を起こしている人はどのようなひとが多いのかについて、統計をもとに議論が進みます。統計に基づいているので、私達一般人の抱くイメージとは反対の事実が明らかになったりもします。例えば、若者の事故率は他の年代に比べて確かに高いのであるけれど、若者の死者数や事故惹起率は90年代以降、顕著な低下がみられます。あるいは高齢者の運転は危なっかしいと思ってしまいがちですが、人口あたり事故発生率自体は高くなかったりします。


そして第6章,7章において、過去に行われた「安全対策」の効果について検証します。第6章では80年代の左折時事故の減少が、第7章では90年代以降の死亡事故の減少が主なテーマになります。
ところでこうした安全対策の議論の中で、悲観主義者が好む「リスク補償説」についても言及されます。同説は要するに、安全になればより危険な行動をとるようになるというような話です。火災保険に入ると火の始末がルーズになるというような話。で、本書ではこのリスク補償は、交通安全の分野においては存在しなかったと結論付けます。つまり、統計結果にそのような効果は表れていないということです。


さて、マクロな感想。
本書は教科書と論文を足して3で割って新書風の味付けをしたような感じです。かなり色気のない本です。たぶん売れないだろうなぁ。
本書が論文的であるというのは、ある事項について説明する場合に顕著に表れてきます。つまり、学術的な実験ではどのような条件でどのように分析を行ったかといった手続的な要素はその実験結果の信頼性の根幹に関わる問題であり、しっかりと書く必要があります。まして実験手法が結果を大きく歪めやすい心理学では尚更です。そして、本書はそういった実験の前提部分を省略せずに書いています。その結果、分量的な割合でも、結論よりも条件の方が多くなってしまいがちです。そして普通の新書の読者というのは(嘘だろうが本当だろうが)結論を読みたいのであって、事実、良く売れる本というのは結論をいかに読ませるかを重視し、プロセスは扱いが軽いことが多いように見受けられます。(1行で済むような結論を手を替え品を替え繰り返すことで強調する本が多い。)
加えて本書は新書としての特性上、心理学者を相手にする論文と違って、説明すべき知識が多くなります。これが、本書が教科書的であるという部分になります。

こうした説明を要する部分を省略しなかったことで、本書は普通人の読書の感覚からすればずいぶんと持って回った議論をしているように見えてしまうことでしょう。真面目な読者にとっては親切な本ですが、真面目ぶりたい読者には不親切な本だと言えます。
しかし真面目に読んでみれば、本書で(控えめに)書かれている各結論は大変興味深い物が多く含まれています。交通事故や安全対策のより深いところまで見通す目を育てられます。


本書は終章で、これからはハード面での対策以上にソフト面、則ち人を育てる必要性を説きます。
この主張は終章のみならず、本書の通奏低音であると言えます。第1章では園児に対する交通安全教育方針について思いを至らせ(園児と言えど単に保護をすれば良いという物ではなく、小学校に進めば親の送迎が無くなる以上、一人でも安全に交通できるように段階的に自立させる必要があるという点はおよそ私の想定外だった)、あるいは第3章では「安全意識」という単一の尺度での安易な二分論の危険と不十分さを指摘します。
そして本書では、《統計》に基づく《情報》により《行動》が改善され《統計》に表れるような枠組を提唱します。現状はこの《行動》の部分が、《動機付け》については充分ではあるが《実行力》が不足していると指摘します。その結果、動機で解決できるような物=シートベルトの着用等は改善されても運転の場面での行動(日頃の安全確認等)はあまり改善されず、それゆえ(死者の減少にもかかわらず)事故率が増加している、と言います。
思うに、こうしたソフト面、つまり意識の改革には「いかに」教えるかというのが重要であるように思います。私は小学生のとき、自転車の無灯火は「いけない」と教わりました。しかし「いけない」理由を知らなかった私は、きちんと周りが見えていれば無灯火でも問題ない、と誤解しました。自転車のライトは、自分が周りを見るために点ける物だと誤解したわけです(実際にはむしろ周りから自分が見えるように、の方が重要)。
このように、結論を結論だけで教えるのではなく理由込みで教えてこそ、免許試験の後にも継続する学修効果が期待できるように思います。


あとミクロな感想。
人の言行不一致の紹介として、速度見越反応検査(適切なタイミングでボタンを押させる実験)で事故多発者にみられる「思ったより早く押してしまう」傾向というのは、身に覚えがあるから気をつけないとなぁと。ドラム叩かせて前のめりになる人もこれかも。そんで、飲酒運転時には先へと進むことが確認より優先することがあるということなので、私はデフォルトで酔っぱらいということですな。