リテラシーはみんな低いわけで

リテラシーの低い人は解らないかもしれないけど、↑の「みんな」には当然、私も含みます。
いやぁ、なんか注目エントリーとかいうのに『http://d.hatena.ne.jp/multiplexer/20061006/p1』なんてのが上がってたから、読んでみたんですよ。
非常に笑えることに、この記事を「注目」してる方々もみんな、この記事が素晴らしいと思ってるようなんです。


上の文章を要約すると「mixiはツッコミを受けない環境なのでユーザの"情報リテラシー"が育たない」ということらしいです。そりゃさぞかし情報リテラシーの高い文章に違いありません。
2度に渡るmixiチェーン日記騒動を指してこのような記事を書いているらしいですが

でも、『何故mixiユーザーは半年も経たずに同じ様なことを繰り返したのだろうか?』と言うのが僕の中では疑問でした。幾ら情報リテラシーが低いユーザーでも、半年程度前のことを覚えてないユーザーがそんなにも多くいるのでしょうか? Wikipediaによると、この期間で増えたユーザー数は約150万人で、全体数(約600万人)から考えると25%程度。影響はあると思いますが、前回の騒動と同レベルの騒ぎになるほどの割合とは・・・。前回の騒動を知っているユーザーも参加しないと、そこまで広がるようには思えません。

この件について、コメント欄になかなかおもしろい「ツッコミ」が入ってました。

# 通りすがり 『「mixiユーザー」と一括りにすることであたかも同じ人が同じことを繰り返したかのように考えていますけど、それはどうでしょう。
>前回の騒動を知っているユーザーも参加しないと、そこまで広がるようには思えません。
とありますが、「そこまで」というのがどの程度なのか。1回目は6/23時点の記事で「数千人」、2回目は9/28時点で「1万4000件以上」という記事が見えます。1回目の参加者は1/450未満、今回は1/300未満です。両者の重複は結構小さいです。

コメントの後半はよく解らないので省略。現時点ではこのコメントへの返事は無いようです。
ツッコミの情報によれば(ツッコミのソースをITmediaで捜したら一応それらしいものが見つかった)、日記騒動の参加者が完全に重複したと考えるならば概ね15,000人程度、完全に分離しているとすれば25,000人未満といったところでしょうか(1回目のは「7000件以上」という記事を確認)。
この数字を元に、mixi600万人からこれに参加した人数の割合を算出すれば、最大で0.41%、最小で0.25%です。ここでは「mixiリテラシー低い派」の人に有利なように、0.41%の方を採りましょう。もっともその数字を採ると引用元の文章は根拠を失うんですけどね。
さて、すると引用元の文章は1%にも遠く及ばないような数字を根拠に「mixiユーザは情報リテラシーが低く、しかも成長しない」としているわけです。ある集団を語るにあたり、200人に1人もいないような特異な層を捉えて論じるとすればそれは根拠をもたない主張であると断じて良いでしょう。ましてこの期間で増えたユーザー数は約150万人で、全体数(約600万人)から考えると25%程度などと得意げになって数字を出しておきながら自分の主張の根拠となる部分については妄想(タイトルでは「理由」を妄想したというが、妄想は理由以前から始まっている)であるわけです。
以上の点から言えば、上に引用した記事は信憑性が低く、書いた人も信じた人も情報リテラシーが低いということができるでしょう。
(上の記事についたはてブのコメントがまた笑える。あたかも「(俺は高いけど)mixiユーザはリテラシー低い」と言わんばかり。)

論理式上の誤り

本題はここから。
上のような、知識がなくても解るような間違いは可愛い物です。しかし、この程度の論理的不整合ですら、うっかりすると見逃してしまうし、自分で書くときなんてますます気付きにくいです。

先日、たしか京大新聞なる京大の学生さんが編集してるんじゃないかと思われる新聞を手にする機会がありまして、そこになにやら京大法学部OBで神戸かどっかの大学で名誉教授をやってる人(名前忘れた)のインタビューが載ってたわけです。
で、囲み記事の部分で憲法24条について語ってたわけですよ。原文が手元に無いので要約になってしまうんですが、概ね

改憲と言えば9条ばかり俎上に乗るが、24条(両性の本質的平等)も改正すべき物である。24条1項は婚姻を両性の合意のみに基づいて成立するとしているが、このことが離婚においても夫婦のみの合意によって成立する制度の元になっている。しかし親の勝手で離婚できるのでは、子供の保護に欠け、家族制度の本質を見失っている。24条はユダヤ系の小娘が書いた物だが、行き過ぎた男女平等だといえる。

という感じの内容でした。しかしおかしいですねこの文章。問題視しているのは親の合意のみで離婚できるという点であるにもかかわらず、何故か男女平等を批判しています。男女が不平等であっても(例えば男性のみの意思で離婚できるとしても)この問題は解決しません。自分から提起した問題から関係ない結論を導いてしまっています。
ここで重要なのは、京大という世間的には頭のいい人たちの大学と思われてるっぽい大学のOBでしかも大学の名誉教授という、まさに知性の権化とでも言わんばかりの人間が、こんな初歩的なミスを犯しているということです。(もっとも、この人の主要著作のタイトルが並んでたけど脳みそ緩そうな本ばっかりだった。法学部OBといっても実際には政治系っぽい。まぁ、ああいう憲法論議をする人は大抵そんなもん。)
ちょっと気をつけて読んでれば、新聞の1面記事だってこの程度のミスを犯すことがあります。社説などについては言うもさらなり。


もっとも、こういうミスは慣れてれば減らせるし、気付けます。そういや法科大学院適性試験はこの手の能力を問う物が多かったような気がします。それでは、こうした物に気をつけている人は情報リテラシーが高いと言えるでしょうか?
「その質問の答えはYESでもありNOでもあるわ」
すいません、ハリウッドっぽく言ってみたかっただけです。私の考えでは「殆どNO」です。論理学を学んだ人であっても、情報リテラシーについては目糞鼻糞です。

論理式的には正しいが間違った論証 --前提(知識)の誤り

例題

日本人は馬鹿だ。
お前は(俺は)日本人だ。
ゆえにお前は(俺は)馬鹿だ。

上の論証を正しいと思った人、あなたは馬鹿です。が、論理的には上の論証には間違いはありません。
上の論証の何が間違っているかと言えば、「日本人は馬鹿だ」という部分です。いや、日本人は頭が良いというわけじゃないです。事実として正しいのは恐らく「日本人の中には馬鹿もいれば馬鹿じゃない奴もいる」といったところでしょう(あるいは人を馬鹿とそうでないとに綺麗に分けることは云々)。ついでにもしかしたらあなたや私は日本人ではないかもしれません。
こんだけあからさまな文であれば誤りには簡単に気付きます。何故かって、常識的に分かる物だからです。
ところが、常識では分からなかったり、常識が誤ってたり、そんなものがあったりします。そして上の用に簡潔な命題の提示をしないように書けば、こうした嘘はますます気付きにくくなります。

公取委の言うように新聞の特殊指定を撤廃してしまったならば、新聞業界は価格競争の末、報道の質を大きく落とすことになるだろう。

まぁこん位の嘘ならすぐバレそうなもんですが、全ての新聞社がこう主張してましたね。

たしかに株式市場は原則として自由であるのが経済的には望ましいだろう。しかし市場の公正を保つには一定のルールに従う必要がある。日本は法治主義国家なのだから、ホリエモンは法律を遵守しなければならなかった。

たぶん「遵守」を「そんしゅ」と読むような人は納得しちゃうはず。

国際組織犯罪条約に加盟するには共謀罪か参加罪を国内法で整備していなければならない。

参加罪の無いバージョンでは、時の外相麻生キュンがこういう答弁をしてましたね。

なるほど合理性という点では夫婦別姓を認めることに利点もあろう。しかし家族制度というのは合理性だけで割り切れる物でもないし、むしろ割り切るべきではないとさえ言える。家族制度に関する問題では、その国の歴史や風土にあった制度であることが重要であろう。夫婦同姓という日本の伝統を、合理性という現代人の理屈で簡単に変えてしまって良い物かどうかは疑問である。

すいません、私、明治維新嫌いなんです。


上で適当に書いた文章には、意図的に誤りを仕込んでいます。どれか一つくらいは騙されたんじゃないでしょうか。
知ってるか知らないかの問題なので、これは知性とは関係ないです。つまり、論理的な整合性を厳密にvalidateできるような機械の体の持ち主でも騙されます。(この知識はおそらくググっても無駄です。みんな間違ってますから、正しい情報はノイズに埋もれてしまうでしょう。)
たとえ言ってる本人は嘘のつもりが全くなくても、そして受け手が全く嘘に気付かなくても、嘘は生じます。そしてその嘘が流布すれば流布するほど、嘘でないと気付くのは難しくなります。大まかに言って専門家以外のセリフはかなり気をつけなきゃいけないし、専門家のセリフもそこそこ気をつけなきゃいけません(テレビに出てる「専門家」はかなり疑わしい)。
さらに、自分の期待した結論が書いてあると論証の過程の嘘は見落としがちになります。その結果、その嘘を自分の体に取り込んでしまったりします。左翼の人が朝日新聞を信じちゃうのが良い例。


さて、情報リテラシーとやらの話に戻ります。
上の嘘を見抜けなかった人は情報リテラシーが低いと言って良いのでしょうか?そうでしょうね。嘘を嘘と見抜くのが情報リテラシー(の1要素)ですから。
では、全て見抜けた人、あるいは上の嘘が嘘だと知ってる私は情報リテラシーが高いと言っていいのでしょうか?答えはノーです。何故かって、それは、上の嘘が嘘だと分かるのはその分野についてある程度の知識がある人だからです。その人は、上のような分野の話題についてはそこそこのリテラシーを発揮するでしょうが、他の分野で同等のリテラシーを発揮することはできないでしょう。っていうか自分で問題を指定しておいて「俺は全部分かるからリテラシー高いんだぜヒャッホー」とか言ってたら頭悪過ぎ。いやそれはそれで面白いか。
で。全ての問題について専門家並みの知識を有する人はいません。これはGoogleさんの力を借りても無駄です。ノイズが多いから。Wikipediaも無駄です。Wikipediaの信憑性が低いからというだけではなくて、断片的な字面だけでは本質を外した理解に陥る危険が大きいし、また全ての項目について一々調べたりしません。というかサラッと流してしまうところにこそ嘘は紛れます。
つまり、ヒトは基本的にその情報の真偽を見分けるリテラシーを持ち合わせておらず、例外的に自分の知ってる分野についてのみ発揮し得る場合がある、ということです。


blogが流行ったおかげでネット上には論説風随想が掃いて捨てるほど流れるようになりましたが、その圧倒的大多数は掃いて捨てて良いです。blogで見かける文章のうち「◯◯論」みたいな体裁を採っている物(※この文章を含む)は基本的にゴミです。嘘をまき散らす点で有害ですらあります。そんなのに比べたら「今日、カレと初めてxxしちゃった(*/∇\*)キャ」とかの方がよっぽど有意義です。検証できない文章を読んで賢くなった気になるのは気持ちいいでしょうけど、傍から観たら馬鹿にしか見えません。(このことは逆に、検証可能な物であれば読んでもOKという話になる。プログラムのコードなんかは検証可能。)
じゃ賢くなりたかったら何を読むべきか。嘘の紛れにくさという点では専門家の文章が良いんじゃないでしょうかね。NatureとかScienceとか。

要約

「いえばいうだけおまえの恥になる… オレは馬鹿だと宣伝してまわるのと一緒だ…」

ところで

はてブってさぁ、そういうゴミみたいな文章を「注目エントリ」の名の下に拡散させるのに一役買ってるわけで、チェーン日記と何が違うの?