『若冲と江戸絵画展』観てきました。

先日のBTに載ってた若冲がえらく良さげだったところ、まさにグッドなタイミングで京都で若冲展が開催されているというので、観てきました。
実は京都国立近代美術館に行くのは京都5年目にして初めてです。デュシャンの『泉』があるらしいので一度行ってみたいとは思ってたんですが…。


さて、展覧会では若冲に限らずPrice氏が収集した気鋭の江戸日本画が多数展示されています。というか、若冲は思ったほど凄くなかった(凄いのもあったけど)ですが、展覧会全体としてみればかなり密度の濃いものであったように思います。
特に私が凄いと思ったのは葛蛇玉の筆による『雪中松に兎・梅に鴉図屏風』です。紙本墨画の大判の屏風なのですが、黒の背景に白い雪が降り、樹が闇夜に浮かび上がる作品です。背景の闇夜はやや淡い墨、松・梅は漆黒と雪の白のハイコントラストで描かれています。夜を切り取っています。まさか水墨画でこんなものを見られるとは思ってなかった。嘆息。ただ惜しむらくは、同画のポストカードがイマイチだったこと。ポストカードになっている松に兎の側よりも梅に鴉の側の方がすごいと思ったんですが…。まぁはがき大じゃ限界もあるしねぇ。
あと、これも大きな屏風画ですが長沢芦雪の筆による『白象黒牛図屏風』は屏風全体にゾウ・ウシが描かれており、色のコントラストも見事に、大きな存在感を出していました。
また『麦稲図屏風』(円山応震筆)は初夏と秋の情景を対比させているのですが、解説に曰く青々と茂り垂直方向に伸びる麦と、茶色に熟し重みで弧を描く稲など、色や形に巧みな対比がなされているとのこと、さらに加えるならば画面を飛ぶ小鳥(それぞれ雲雀、雀)も、夏の麦では上方向、秋の稲では下方向に向かって飛んでいるのも対比をなしていました。


こうして沢山の作品を一度に観て思うのは、日本画では「コントラスト」が重要であるように感じるものよ、ということです。それは水墨画における白と黒という文字通りのコントラストに加え、遠景と近景(円山応挙筆『懸崖飛泉図屏風』のダイナミズムは凄い)、美と醜(河鍋暁斎筆『絵馬と地獄太夫図』を参照)、静と動、物と空間といった意味的な対比も含みます。日本画は特に主題などで中国画の影響をかなり受けていますが、漢詩における対句にも見られる対比を重視する発想が絵画に表れていると言えるかもしれません。


それと本展では掛軸の作品も多く出展されているのですが、掛軸それ自体のデザインも興味深いものがあります。先日観てきたミュシャで植物等の繰り返しによる装飾デザインが紹介されていましたが、それが掛軸には既に表れている。呉春・松村景文筆『柳下幽霊図』なんかはミュシャ的であると感じました。
掛軸としてさらに面白かったのは中野其明筆『鐘馗図』でした。この作品では掛軸もまた作品の一部になっています。絵が画面から掛軸にはみ出しており、さらに掛軸の上方に絵から飛び出したかのような蝶が貼り付いています。こうした、枠に囚われない試みは後に漫画でキャラクターがコマを飛び出す表現につながっているのかもしれません(妄想)。


若冲展はこのくらいにして。
その他にPrise氏のコレクションに反応して京都国立近代美術館所蔵の横尾忠則のポスターが展示されていました。なんていうか、あのキチガイじみた下世話な画面構成(褒め言葉)は凄いです。「よく見ると凄い」とかよりも早い段階において、人の注目を集めずにはいられない。あと凄くどうでも良いけど『大山デブコの犯罪』っていう語呂は『凉宮ハルヒの憂鬱』と似てると思った。それだけ。


あとは、常設展示?と連絡するような形で、所蔵作品が幾つかありました。ザウリ・カルロの陶彫『水平なふるえ』はなにやら静かな不安感を感じさせるし、辻晉堂の陶彫『呪術者』はなんか焼き物版のキュビズムっぽくて面白いし、菊池一雄の彫刻『無言(しじま)』の少女の表情は萌だし、バーバラ・ヘップワースの『春』は、傍から眺めるだけだと全くどうとも思わない物だけど、穴の中を覗き込み張り巡らされたいとを見ると吸い込まれるようなトリップ感があるし、ピエト・モンドリアンの『コンポジション』(c.1916)は単純なようでいて緊張感があるし、前田常作の『人間星座(8)』はなんか格好いいし。
とにかく、なかなかどうしていい感じの物が沢山ありました。おそるべし京都。ここの美術館の蒐集家はかなりイケてる趣味の持ち主だと思います。