「宇宙人なんていない」って主張してみるテスト

地球以外にも知的生命体が存在するとする論者の主張は、要するに「地球だけが特別であるとすべき根拠はない」等と宣うものである。そして彼らは二の矢でこういう攻撃を向けてくる。「地球外知的生命体が存在しないというのであればその根拠を示してみろ」と。
しかしそもそもこの攻撃は失当である。
「有る」ことを証明することはたやすいが「無い」ことを証明することは極めて難しい。したがって「無いことの証明」は一般に「悪魔の証明」などと呼び慣わされ、多くの場合ではそれを求めることは不当であるとされる。
地球外知的生命体の存否についても特別な事情は見当たらないのであるから、その不存在という悪魔の証明を我々に課すのではなく、その存在を主張する側に立証責任があるというべきである。
そして彼らは未だその存在を証明できていないのであるから、合理的な科学的精神に基づけば「地球外知的生命体は存在しない」と言うべきである。これをことさらに攻撃する者は科学者ではなく要するにロマンチストであるに過ぎない。


という文章を考えてみた。
私はロマンチストなので「宇宙人はいるかも派」なんだけども、我ながら上の文章にはどうしたもんかと。でも感覚的には納得がいかないんだよなぁ。


感覚的に納得がいかない理由を考えてみた。
「宇宙人は(いる|いない)」の二元論で問題を捉えるから感覚的な反発に繋がってるのかもしれない。この 1bit な考え方だと、単に「宇宙人が存在する証拠は見つかっていない」という主張と「地球は、そして人間は神が特別に作った存在である」という主張が区別されず、それゆえ前者を後者の主張と同列にみなしてしまう。あるいは「証拠はないけど宇宙人は絶対いるんだ」という主張と「宇宙人?いるかもね」という主張が同列に見えるため、宇宙人の存在に肯定的な言説のすべてが妄想をまき散らしてるとみなしてしまう。
たぶんこれって不幸な誤解なんだろうと思う。
もうちょっと細かく
(a) 宇宙人はいる » (b) 宇宙人がいる可能性がある » (c) 宇宙人がいる可能性は無い
と分けてみれば、上で書いた対立も実は両者共に(b)を主張しているに過ぎず、激しく対立する必要は全然ないんじゃなかろうか、と。