他の漫画だとコミュニケーションの齟齬は描かれないことが多い気がする。

おお振りについては何度か言及した覚えがあるんですが、おお振りの最新巻おおきく振りかぶって(7) (アフタヌーンKC)を読みながら思ったことを。


8回の表、西浦高校の攻撃でのバッター田島の場面です。
桐青のキャッチャー河合は過去の打席から田島についてこのリーチじゃあ届かねぇシンカーに手ェ出してくれる 楽な4番だと思いながらも、田島の自然な構えを見て、念のためシュートを投げさせます。
桐青の投手・高瀬はそのリードを受けて

シュートを使うのは和さんが バッターの力を計りかねてストレートに保険をかけてる時なんだ
保険は正直“気休め”にしかなってねェと思うけど
捕手(カズサン)が4番をチェックしてるってことはわかる
“打てねェ4番”の印象は捨てよう
こいつには気合入れてく!
おおきく振りかぶって(7) (アフタヌーンKC)88頁

そして高瀬は河合が内角高めボール球に要求したストレートに対し、マックスの球速で投げ込み、河合に対してウインクを返します。
この、(本来抑えてもいいはずなのに)全力で投げられたストレートは「和さんがチェックしているこの4番には俺も気合いを入れます」という意思表示であり、両者の意思が通じ合ったことを示す直球のはずでした。


しかし、河合はこの直球とウインクを受けて、

もしかして
オレが迷ったのバレバレか?
91頁

と一人赤面します。
ここに両者の意思疎通の齟齬があるわけです。


多くの野球漫画では、選手の心の声はテレパシーによってチームメイト全員に共有されます。そのような世界であれば、外すボール球に全力投球するなんて意思表示をするまでもなく、バッテリーは田島に対する警戒心を共有していたはずです。
このように、『おお振り』では漫画的なテレパシーを排し、各人はそれぞれの持つ情報でそれぞれの思考を行い、その独立した思考が集まって一つのチームプレーを形成します。
この構図は現実世界では当然の状態ですが、作り話でこれを自然にやってのけるものは少ないように思います。もちろん前例も少なくはなく、例えば権謀術数や個性の対立が重要な作品ではきちんとこういう所を描き分けられているでしょう。しかしこれは野球漫画です。各選手の持つ情報の違いだとかは考えなくても作品は成立します。
にも拘らず、誰は既に三橋の"まっすぐ"を見ているとか、栄口は三橋が従姉妹と同居していたことを知ってるとか、そういう各キャラの立ち位置の違いをしっかりと区別して描いていることが、この漫画の魅力を陰から下支えしているように思います。


というわけで。やっぱ栄口はいいやつだ。あと水谷が好き。そんな感じで。